シンガーソングライターで女優の加藤登紀子(かとうときこ)さんが、2025年4月9日放送の「徹子の部屋」に出演予定です。
「知床旅情」「百万本のバラ」「難破船」など多くのヒット曲を生み出し、「おときさん」の愛称で親しまれています。
また、1983年の映画『居酒屋兆治』では高倉健(たかくらけん)さんの女房役を演じました。
そんな加藤登紀子さんのプロフィールや経歴、再婚して夫や子供・孫はいるのか?両親(父母)や兄弟姉妹、若い頃の画像についてご紹介します。
(出典:テレビ朝日「徹子の部屋」)
加藤登紀子のプロフィールや経歴
加藤登紀子さんのプロフィールや経歴についてご紹介します。
プロフィール
(出典:加藤登紀子さんのオフィシャルサイト)
加藤登紀子さんのプロフィールはこちら!!
名前 加藤登紀子 (かとう・ときこ)
生年月日 1943年12月27日
年齢 81歳 (2025年4月時点)
出身地 満洲国・ハルビン市
出身校 東京大学文学部西洋史学科卒業
事務所 トキコ・プランニング
経歴
1943年、現在の中国東北部の旧満州ハルビン生まれ。終戦後、2歳の時に長崎に引き揚げました。
1968年3月、東京大学文学部西洋史学科卒業。
1965年、東京大学在学中に第2回「日本アマチュアシャンソンコンクール」で優勝したことがきっかけで、翌年「誰も誰も知らない」でレコード・デビュー。2枚目のシングル「赤い風船」で、「第8回日本レコード大賞」新人賞受賞。
1969年、「ひとり寝の子守唄」で第11回日本レコード大賞歌唱賞受賞。
1971年、「知床旅情」で2度目の第13回日本レコード大賞歌唱賞受賞。
1987年、「百万本のバラ」が大ヒット。中森明菜(なかもりあきな)さんには「難破船」、石原裕次郎(いしはらゆうじろう)さんには「わが人生に悔いなし」といった提供曲も、好セールスを記録。
1983年の映画『居酒屋兆治』では高倉健さんの女房役を演じています。
1992年、アメリカなど世界各地でコンサートを行い、芸術文化活動における功績に対してフランス政府からシュバリエ勲章を授けられました。
同年、宮崎駿(みやざきはやお)監督のスタジオジブリ・アニメ映画『紅の豚』では、声優としてマダム・ジーナ役を演じています。
1997年、世界自然保護基金日本委員会評議員に就任。
2000~2011年には、環境省・UNEP国連環境計画親善大使に就任。アジア各地を訪れ、自らの目で見た自然環境の現状を広く伝え、音楽を通じた交流を重ねました。
2021年5月、日本訳詩家協会6代目会長に就任。
2022年5月22日、ウクライナ支援チャリティーアルバム「果なき大地の上に」をリリース。売上の全額を日本チェルノブイリ連帯基金を通じて寄付。
同年、2022年度毎日芸術賞を受賞。
2025年1月、城西国際大学観光学部で客員教授をした後、星槎大学共生科学科客員教授に就任。
年末恒例の日本酒を飲みながら歌う「ほろ酔いコンサート」は、人気のコンサートとして定着しています。
加藤登紀子は再婚して夫や子供孫がいる?
加藤登紀子さんは、再婚して夫や子供・孫がいるのかご紹介します。
1972年、加藤登紀子さんは学生運動で実刑判決を受け獄中にいた藤本敏夫(ふじもととしお)さんと結婚し、長女を出産しました。
その後、1975年に次女、1980年には三女を設けており、お孫さんは7人いるそうです。
再婚している?
加藤登紀子さんと藤本敏夫さんの出会いは、1968年でした。
東大紛争の際、加藤登紀子さんは「振り袖で来てほしい」という女性週刊誌の要請を振り切ってジーパンで卒業式の会場に現れ、その噂を聞きつけた同志社大学の学生であり、ブント系の「反帝学連」委員長の藤本敏夫さんにコンサートへの出演依頼を受けるものの、歌を政治運動に利用されることを嫌って断りました。しかし、この件をきっかけに2人は交際を開始しました。
その後、紆余曲折を経て1972年5月に妊娠が発覚したため、防衛庁襲撃事件などで逮捕され勾留の身であった1歳年下の藤本敏夫さんと獄中結婚を決意。
一人で子どもを産み育てながら、夫の出所を待ち続けました。「ひとり寝の子守歌」は、塀の中にいる夫を思って作られた曲だそうです。
勾留と釈放を挟み、合わせて30年間を連れ添った夫は、2002年7月31日に肝臓がんのため死去(享年58)。
藤本敏夫さんが手掛けた千葉県「鴨川自然王国」を子供達と共に運営し、農的くらしを推進しており、再婚はせず一人暮らしをしています。
(出典:鴨川自然王国のフェイスブックより)
子供・孫
前述のように、加藤登紀子さんには3人の娘と孫が7人います。
(出典:介護ポストセブン/1996年の正月・後列の娘と前列左の姑・中央の藤本敏夫さん)
長女の藤本美亜子(ふじもとみあこ)さんは、1972年12月7日生まれで結婚しており、現在は畑中美亜子(はたなかみあこ)さん。
第二子の出産を機に、亡き父・藤本敏夫さんが手がけた「鴨川自然王国」のある鴨川市へ移住しています。
次女は、1975年12月14日生まれのyae(やえ)さん。本名は藤本八恵(ふじもとやえ)さんといいます。
2004年に鴨川に移り住み、2005年に結婚。Yaeさんはシンガーソングライターで、3人の子どもを育てながら夫と引き継いだ「鴨川自然王国」の農業と歌手業を続けています。
三女の藤本美穂(ふじもとみほ)さんは1980年生まれで、一家は沖縄在住です。
加藤登紀子さんが一人暮らしをしみじみと語るようなツイートをしています。
沖縄からの娘家族が帰り、またこうしてひとり!旅の支度をしながら、嘘のような静けさを味わってる。生きることと、歌うことが二つの車輪。そう思ってきたけど、命いっぱいの世界は満ち潮。潮がひいたあとは津波のような混乱。一つ一つかたずけて、自分の世界に戻る。この往還は大きな振り子だ‼
— 加藤登紀子 (@TokikoKato) July 26, 2010
また、「自分の子育てには反省するところも多いが、母の教えを受けた娘たちなら、きっと子育ても大丈夫!」と語っていました。
加藤登紀子の両親(父母)や兄弟姉妹は?
加藤登紀子さんの両親(父母)や兄弟姉妹について、ご紹介します。
家族構成は、両親(父母)と兄・姉、ご本人の5人家族です。
(出典:登紀子プランニング/左から兄の幹雄さん、父の幸四郎さん、母の淑子さん、姉の幸子さん、中央前が加藤登紀子さん)
両親(父母)
父は京都生まれで、名前は加藤幸四郎(かとうこうしろう)さん。1910生まれで1992年に死去。
ハルピン学院出身で、関東軍特務機関や南満洲鉄道(ロシア人係)に勤務していました。
母の淑子(としこ)さんは、京都の呉服屋の箱入り娘で1915年生まれ。2017年1月2日に101歳で亡くなりました。
一家は、敗戦後に淑子さんの実家がある京都に引き揚げ、加藤登紀子さんが中1の夏に、父がレコード会社に務めていた関係で東京都世田谷区へ転居しています。
兄弟姉妹
加藤登紀子さんの6歳上の兄は幹雄(みきお)さんで、元住友金属工業(現:日本製鉄)副社長、現在はロシア料理店経営者。
3歳上の姉は幸子(ゆきこ)さんといい、スンガリー社長・元大阪フィルなどバイオリニストです。
Xに姉の幸子さんのバイオリンライブのツイートをしている方がいました。
加藤幸子さん(加藤登紀子さんのお姉さま)のバイオリン・ライブ。ブラボー!な演奏会。登紀子さんと「ツイッターのちょっといい話」を少し。鳥肌もの。大ママ(登紀子さんのお母様・95才!)とハルビンのロシア兵の話たっぶり。面白かったぁ。
— 池田正孝 (@sakuho) May 15, 2010
加藤登紀子の若い頃の画像
加藤登紀子さんの若い頃の画像をご紹介します。
■『婦人生活』1966年4月号より
(出典:Wikipedia)
■1966年
(出典:Wikipedia)
■1970年
■1980年
■2001年
昔から変わらないステキな笑顔ですね。
まとめ
2025年4月9日放送の「徹子の部屋」に、シンガーソングライターで女優の加藤登紀子(かとうときこ)さんが出演します。
夫と獄中結婚をし、波乱万丈の人生を歩んできた加藤登紀子さんですが、3人の娘に恵まれ、お孫さんは7人いるそうです。
4月9日放送の「徹子の部屋」では、どんなお話が聞けるか楽しみですね。
ということで、加藤登紀子さんのプロフィールや経歴、再婚して夫や子供・孫はいるのか?両親(父母)や兄弟姉妹、若い頃の画像についてご紹介しました。