高橋惠子

高橋惠子の結婚した夫や子供孫・両親(父母)兄弟は?若い頃の画像も

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高橋惠子(たかはし けいこ)さん」といえば、様々な映画に出演している有名女優です。

北海道出身の高橋惠子さんは、1970年、映画「高校生ブルース」で主演デビューしました。

高校生心中 純愛」や、映画「おさな妻」などの代表作があります。

すでにベテラン女優として人気の高い高橋惠子さんですが、何度も引退を考えたりしたこともあったようです。

2025年1月7日放送の「徹子の部屋」にも出演されるそうで、元気な姿とともに地元北海道での貴重なエピソードなどが聞けそうです。

ちなみに、北海道・札幌で開催されている「徹子の部屋展」から、公開収録の模様が放送される予定です!

そこで、今回は、女優高橋惠子さんのプロフィールや経歴、結婚した夫、子供や孫のこと、両親(父母)・兄弟姉妹、若い頃の画像などについて取り上げてご紹介いたします。

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高橋惠子のプロフィールや経歴

高橋惠子さんのプロフィールや経歴についてご紹介していきます。

プロフィール

高橋惠子さんのプロフィールはこちらです!

名前    :高橋惠子(たかはし けいこ)
生年月日  :1955年1月22日
年齢    :69歳(2024年12月時点)
出身地   :北海道川上郡標茶町
職業    :女優
所属事務所 :ブロウアップ
配偶者   :高橋伴明(1982年〜)
長女    :秋山佑奈
主な作品  :テレビドラマ
       『太陽にほえろ!』『泣くな青春』『過ぎし日のセレナーデ』
       『葵 徳川三代』
       映画
       『高校生ブルース』『ふみ子の海』

高橋惠子さんは、北海道川上郡標茶町字磯分内熊牛原野出身です。

小学6年生からは、東京都府中市で育ちました。

1955年1月22日生まれ、1970年、映画「高校生ブルース」で主演を務め女優デビューしました。

映画「高校生心中 純愛」や、映画「おさな妻」、映画「四月の永い夢」、ドラマ「太陽にほえろ!」、NHK大河ドラマ「信長 KING OF ZIPANGU」、ミュージカル「マイ・フェア・レディ」などの有名な作品に出演されていて、今も活躍を続けるベテラン女優さんです!

1982年、映画監督の高橋伴明さんと結婚しました。

続いて、高橋惠子さんの経歴を見ていきましょう!

経歴

高橋惠子さんの両親はいとこ婚でした。
標茶町で小牧場を営み、その後、保険外交員に転職、母は宿泊業で釧路市へ移りました。
歌手を目指していた父の『娘を東京で育てたい!』との希望で、6年生の途中で一家全員で東京都府中市へ移住しました。

中学校時代から大人びた容貌で芸能スカウトにも注目されていたため、2年生の時に大映のスチールカメラマンにスカウトされました。

中学を卒業するまで、大映の研修所へ通い演技のレッスンを積み、ミスセブンティーンを目指し、歌の審査のために音楽教室に通ったりしました。

石川さゆりさんとも小学校6年の頃に出会っています。

1970年春の中学卒業と同時に大映へ入社、デビュー作品は当初「おさな妻」でしたが、1970年「高校生ブルース」に主演予定だった南美川洋子さんが降板したことで、代役で、旧姓関根恵子で主演デビューを果たしました。

「おさな妻」でゴールデンアロー賞新人賞を受賞しました。
マスコミにより、奔放な不良少女のイメージが作られ、自分とは違うイメージが一人歩きしたことから女優引退を決意。
引退作となるはずだった増村保造監督の「遊び」で増村の情熱に感動し、辞意を撤回しました。

1971年11月末に大映倒産後、東宝へ移籍しました。
人気テレビドラマ「太陽にほえろ!」で、ヒロインの七曲署の婦人警官「シンコ」役で人気女優となりました。

1974年「太陽にほえろ!」で共演の松田優作さんの劇団「F企画」の旗揚げ公演「みやもと武蔵」で舞台デビューを果たした。

1977年、年明け直後からストレスで睡眠薬を大量に服薬し、自殺未遂を起こし、女優業を休業、岐阜県の山村で晴耕雨読の静かな生活を送った。

1979年の初夏に女優復帰、「ドラキュラ」の舞台公演でのルーシー役で、演技に対して恐怖を感じて、タイのバンコクに逃亡した。
日本に帰国し謝罪会見を開き、その後も一時芸能界引退を決意、芸能界復帰会見を開き活動を再開しています。

1982年、にっかつロマンポルノ10周年記念「ラブレター」に主演し、ロマンポルノ史上最高の興行収入を記録した。

1982年には、操上和美さん撮影のヌード写真集が発売された。
大阪の三菱銀行人質事件を取り上げた映画「TATTOO<刺青>あり」で映画監督の高橋伴明さんと知り合い結婚しました。
ピンク映画の監督高橋伴明さんにとっての初の一般映画で、以後は大人の落ち着きある女性の役柄になりました。

1992年、NHK大河ドラマ「信長 KING OF ZIPANGU」で織田信長の母「るい」役を担当しました。

このように、高橋惠子さんの女優人生は順風満帆なものではなく、電撃的な出会いや葛藤などを経験しながら役作りを続け、今の女優業を継続されているようです!

高橋惠子の結婚した夫や子供・孫は?

次は、高橋惠子さんの結婚した夫や子供・孫についての情報です。

高橋惠子さんは、1982年高橋伴明(たかはし ばんめい)さんと結婚されています。

高橋伴明さんは、ピンク映画や社会派映画などを撮っている日本の映画監督です。

1982年、大阪の三菱銀行人質事件をモデルにした「TATTOO<刺青>あり」で初となる一般映画を監督したことがきっかけで、ヒロインを演じた関根恵子(高橋惠子)さんと結婚しました。

ちなみに、この作品は、キネマ旬報ベストテンの6位、ヨコハマ映画祭監督賞を受賞しています。

大島渚さん・小山明子さん夫妻が仲人を務めています。

秋山佑奈さんは高橋伴明さんの娘さんで、高橋さんのマネージャーを務めるようになっています。

ちなみに、前回の徹子の部屋でも話題になっていましたが、

孫が4人に…ペットの珍映像も
女優の高橋惠子さんが3年ぶりに登場。この間に娘が4人目の子どもを産み、同居する家族が88歳の実母から1歳の孫まで9人に増えたという。そして更に、犬が5匹、猫が3匹、トカゲ、カメとペットも賑やか!

引用:徹子の部屋

高橋さんご夫妻のお子さんは一男一女ですが、お孫さんは4人もいらっしゃいます!

そして、同居するご家族も88歳の実母から1歳の孫まで9人にまで増えたそうです!

実に4世代同居です!

高橋惠子の両親(父母)や兄弟姉妹は?

続いて、高橋惠子さんの両親(父母)、兄弟姉妹について調査しました。

高橋惠子さんのご両親や兄弟姉妹に関しては、詳しい氏名や名称等については記載がありませんでした。

ご両親はいとこ婚だったようです。

父は標茶町で小規模な牧場を営んでいました。

しかし、牧場経営に失敗し、父は帯広市で保険外交員に転職、母は住み込みによる宿泊業の仕事のために釧路市へ移ったそうです。

その後、父の転勤により斜里町へ移るも、歌手を目指していた父の『娘を東京で育てたい!(文化的な意味合いで)』との願いを叶えるために、一家揃って東京都府中市へと移住されたというエピソードがあります。

高橋惠子さんにはお兄さんがいたようです。

 高橋さんには10歳年上の兄がいた。脳性まひで歩くことができず、学校にも行けなかった。高橋さんが3歳のとき、13歳の短い人生を終えた。

引用:週刊朝日

高橋惠子の若い頃の画像

続いて、高橋惠子さんの若い頃の画像についてご紹介します。

高橋惠子さんの若い頃の画像でしたが、衝撃的なデビューを飾っていることから、逆に初々しさが感じられる画像が残されていました。

まとめ

いかがだったでしょうか?

今回は、女優高橋惠子さんのプロフィールや経歴、結婚した夫、子供や孫のこと、両親(父母)・兄弟姉妹、若い頃の画像などについて取り上げてご紹介いたしました。

現在、高橋惠子さんは、お子さんやお孫さん、たくさんのペット達に囲まれ、癒やされながらも女優業を意欲的に続けられています。

地元北海道札幌でも「徹子の部屋展」が開催されています。

今回の徹子の部屋でも面白いエピソードが飛び出すのではないでしょうか?

それでは、今回もご覧になってくださりありがとうございました。

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