芸能リポーターでフリーアナウンサーの東海林のり子(しょうじのりこ)さんが、2025年2月13日放送の「徹子の部屋」に出演します。
「現場の東海林です」というフレーズがお馴染みで、ワイドショー内の特に事件リポーターとして絶対的な地位を築き上げ活躍していました。
そんな東海林のり子さんのプロフィールや経歴、現在は独身で結婚した夫や子供・孫は?両親(父母)や兄弟姉妹、若い頃の画像についてご紹介します。
(出典:テレビ朝日「徹子の部屋」)
東海林のり子のプロフィールや経歴
東海林のり子さんのプロフィールや経歴についてご紹介します。
プロフィール
(出典:デイリー新潮)
東海林のり子さんのプロフィールはこちら!!
名前 東海林のり子 (しょうじ・のりこ)
生年月日 1934年5月26日
年齢 90歳 (2025年2月時点)
出身地 埼玉県浦和市
血液型 A型
学歴 立教大学卒業
所属 株式会社ミントプロジェクト
経歴
東海林のり子さんは、中学時代は水泳部に所属し、埼玉県大会で優勝したことがあるそうです。
埼玉県立浦和第一女子高等学校から、立教大学文学部英米文学科へ進学。
1957年、立教大学卒業後、ニッポン放送に入社。
1970年にニッポン放送を退社し、以後はフリーランスの芸能リポーターとして『小川宏ショー』、『3時のあなた』、『おはよう!ナイスデイ』など多くのワイドショーに出演。
ワイドショー内では特に事件リポーターとして活躍し、全国を飛び回って数々の事件の現場を伝えてきました。「現場の東海林です」「現場の東海林がお伝えしました」というフレーズでお馴染みでした。
当時のリポーター業界は男社会で、男性記者たちから「女に何ができるんだ」と言われるなど悔しい思いもしたそうです。
しかし、仕事を続ける中で“男性記者の諦めの早さ”に気づくと、現場に残って主婦の井戸端会議に混ざるなど女にしかできない方法で粘り強く情報を集めるようになり、女性の事件リポーターとしての地位を確立しました。
1994年、日本女性放送者懇談会賞(現・放送ウーマン賞)を受賞。
1995年に発生した阪神・淡路大震災を期にリポーターとしての活動に終止符を打つことを決意。リポーター引退の理由を、あの時は「もうこれ以上に悲惨な現場に出合うことはない」と思ったと語っています。
以降、司会業やコメンテーターの活動をメインに、『脳内エステ IQサプリ』の問題中に登場したりなど、不定期ながらリポーターとして出演しています。
自身が司会をしていた『パワーワイド』のテレビ朝日映像が制作をしていた、運転免許更新時に使われるVTRに出演したこともありました。
携帯サイト「梨元芸能!裏チャンネル」にて、ユーザーのさまざまな悩みに答える相談コーナーのパーソナリティを務めました。
また、ラジオ番組に出演する傍ら、講演活動などもしています。
『へこたれないじゃん』『東海林のり子の「人生yesの法則」』など、書籍多数。
東海林のり子は現在独身で結婚した夫や子供・孫は?
東海林のり子さんは現在独身で結婚した夫や子供・孫について、ご紹介します。
結婚した夫
東海林のり子さんは、1961年に3歳年下で同じ大学の後輩だった東海林誠(しょうじまこと)さんと結婚。この時、夫はまだ就職前だったため東海林のり子さんがが家計を支えていました。
後に誠さんは、外資系企業の営業マンになります。
その後、東海林のり子さんは、長男を出産したのを機に37歳でニッポン放送を退職。
フリーアナウンサーとなり、リポーターの仕事が舞い込んでやりがいを感じてきた頃、子育てを考えて辞めるべきか迷った所、夫から「日本一のリポーターになるなら応援する」と言われたそうです。
働くことを選んだ東海林のり子さんは、仕事が忙しい時は夫や家政婦を雇って家事と子育てを頼み、本格的にリポーター人生を歩むことになります。
その後、40代から糖尿病を患っていた夫は、2018年に腎臓病により死去。
同じマンションの下の階に息子家族がいるものの、一人暮らしを始めました。
(出典:週刊女性PRIME/東海林さんの還暦パーティーで家族と。右から夫・誠さん、長男・健さん、長女・亜紀さん)
子供
1968年に長男・健(読み方不明)さんが生まれ、その後、1971年には長女・亜紀(あき)さんが誕生しています。
健さんは、1999年には仕事で中国に住んでいたそうです。ちなみにお嫁さんは中国人だとか。
亜紀さんは、東海林のり子さんのことを、
母が留守中に父と兄と3人で外食することもありましたが、やっぱり母が加わると盛り上がるんですよ。とぼけたことを言ったりして楽しい人なので。
母が多忙を極めたころは距離感を感じたこともありましたけど、今は何でも相談できる友達親子のような関係です
と語っており、とても仲の良い親子であることがうかがえます。
孫
東海林のり子さんの2人のお子さんは、結婚されていてお孫さんがいるようですが、詳しい情報は公開されていません。
あるインタビューで、
孫もね、遊びに来ると必ず仏壇にお線香をあげて、手を合わせるんです。何を祈ってくれているのか、長いのよ(笑)。
お墓まいりでも、「ばあばはそこにいて。転ぶといけないから」と私を気遣いながら、お墓掃除をしてくれるの。ご先祖様への夫の思いが息子にちゃんと受け継がれていて、孫にも伝わっている。そのことを、とてもありがたく感じています。「私がお墓に入った後も、こんな感じで見守ってくれるんだろうな」って思えるから。
と話していました。優しい子供と孫に囲まれた日々をお過ごしのようです。
東海林のり子の両親(父母)や兄弟姉妹は?
東海林のり子さんの両親(父母)や兄弟姉妹について、ご紹介します。
両親(父母)
東海林のり子さんは、両親(父母)と祖父母、3人の姉とご本人、そしてお手伝いさんが同居する家で幼少期を過ごしました。
代々岩槻藩の藩士の家系でしたが、明治時代に曽祖父が浦和で質屋を始めています。家業を継いだ父はお坊っちゃん育ちなため商売は下手だったが、生活自体は豊かだったといいます。
ご両親の名前や年齢など、調べてみましたが詳しいことは公開されていませんでした。
兄弟姉妹
4姉妹の末っ子として生まれた東海林のり子さん。
(出典:Yahoo!ニュース)
広い庭のある大きな家で暮らし、4姉妹には世話をしてくれる“ねえや”(お手伝い)が1人ずついたそうです。
子供の頃は、歌舞伎好きな母親の影響で姉たちと長唄や日本舞踊を習っており、親戚が集うとよく歌を披露したり、小学校に入学後にNHKのラジオ番組で童謡を歌ったこともあるとか。
お名前や年齢など、姉についての詳しい情報は見当たりませんでした。
東海林のり子の若い頃の画像
東海林のり子さんの若い頃の画像をご紹介します。
■高校時代
(出典:Yahoo!ニュース)
■ニッポン放送時代
(出典:週刊女性PRIME)
■リポーターとして活躍していた頃
(出典:AERA.dot)
■2000年頃
(出典:Yahoo!ニュース)
■70代
(出典:AERA.dot)
イキイキとした笑顔がとても魅力的な女性ですね。
まとめ
様々な事件や芸能リポーターとして活躍してきた東海林のり子さん。
夫が天国に旅立った後は、長男夫婦が住む横浜のマンションの上階で、一人暮らしをしていることが分かりました。
そんな東海林のり子さんが、2025年2月13日放送の「徹子の部屋」に出演される予定です。どんなお話が聞けるのか楽しみですね!
ということで、東海林のり子さんのプロフィールや経歴、現在は独身で結婚した夫や子供・孫は?両親(父母)や兄弟姉妹、若い頃の画像についてご紹介しました。