2024年3月18日から開催される「第96回選抜高等学校野球大会(センバツ高校野球2024)」に大阪桐蔭高校の選手としてラマル・ギービン・ラタナヤケさんが出場することとなりました。
そんなラマル・ギービン・ラタナヤケさんのプロフィールや経歴をはじめ、両親(父母)兄弟姉妹や国籍について、さらに出身校(小学校・中学・高校)や成績についてもご紹介します。
ラマル・ギービン・ラタナヤケのプロフィールや経歴!両親(父母)や兄弟姉妹・国籍は?
では、ラマル・ギービン・ラタナヤケさんのプロフィールや経歴、両親(父母)や兄弟姉妹・国籍などについてご紹介します。
プロフィール・経歴
年齢:2006年4月8日(17歳)
出身:愛知県名古屋市
身長:180cm
体重:92kg
血液型:不明
投打:右投げ右打ち
ポジション:内野手
ラマル・ギービン・ラタナヤケさんは愛知県名古屋市出身の内野手です。
誕生日は2006年4月8日で年齢は「第96回選抜高等学校野球大会(センバツ高校野球2024)」開催時点では17歳ということになります。
ちなみに、ラマルという名前はスリランカの公用語の一つのシンハラ語で「太陽に輝く男の子」という願いが込められているそうです。
そして、ミドルネームのギービンは「音楽を聴くのが好きな男の子」という意味で、ラマル・ギービン・ラタナヤケさんは実際に「音楽は僕にとって大切な存在」と語っています。
そんなラマル・ギービン・ラタナヤケさんは高校2年生の春から4番で起用されており、公式戦でも徐々に豪快な打撃を発揮しました。
練習試合を含め高校通算本塁打も2ケタを超えるなどスラッガーとしての片鱗を見せています。
両親(父母)や兄弟姉妹・国籍は?
ラマル・ギービン・ラタナヤケさんの両親(父母)や兄弟姉妹・国籍について見ていきましょう。
ラマル・ギービン・ラタナヤケさんの両親(父母)はスリランカ人で、父親のバンダーラ・ラタナヤケさんは学生時代にバレーボールのスリランカ代表だったそうです。
バンダーラ・ラタナヤケさんは留学生として日本に来て日本語学校から大学、大学院へと進学しました。
アルバイトにも一生懸命で、そんなバンダーラさんに対し新聞配達店の店主がスリランカまでの飛行機代を出したこともあったとのこと。
そして、スリランカに戻ったバンダーラさんは祖国で結婚した後、妻と一緒に再度来日し名古屋で就職しました。
2020年の情報ですが、丸太運輸株式会社で製造された鋼材などの出荷業務を担当し、出荷に関する管理業務や玉掛作業業務などをおこなっているとのこと。
さらに前職はで合板製造加工の会社で管理責任者として働いていたこともあるそうです。
ラマル・ギービン・ラタナヤケさんの母親や兄弟姉妹についての詳しい情報は今のところ見当たりませんでした。
ラマル・ギービン・ラタナヤケさんは愛知県名古屋市出身で日本生まれなので国籍は日本ということになりそうですが、両親がどちらも外国人の場合は外国籍となるようです。
ただ、日本国籍を申請する場合もあるので現在はスリランカ国籍で将来的に日本国籍、あるいは子供が未成年でも両親のどちらかが日本国籍を取得していれば子供も同様に帰化申請することができるので既に日本国籍といったケースが考えられます。
今のところどちらの国籍なのか確かな情報は見つかりませんでしたが、わかり次第追記したいと思います。
ちなみに、ラマル・ギービン・ラタナヤケさんは日本食が大好きで特に好きなのがお寿司だそうで、中学時代はお寿司を30皿完食したこともあるそうです。
幼い頃から周りの子よりも体格がずば抜けて違い食べる量も多かったそうなので、日本育ちでもやはり外国人のフィジカルの強さを感じさせますね。
ラマル・ギービン・ラタナヤケの出身校(小学校・中学・高校)や成績は?
ラマル・ギービン・ラタナヤケさんの出身校(小学校・中学・高校)や成績についてご紹介します。
ラマル・ギービン・ラタナヤケさんの出身小学校は不明ですが、後ほど紹介する出身中学の校区からすると以下の学校の可能性が高そうです。
・名古屋市立西福田小学校
・名古屋市立福田小学校
・名古屋市立福春小学校
ラマル・ギービン・ラタナヤケさんが野球を始めたきっかけは友達に誘われたことで、小学4年生の夏から名古屋市港区を拠点とする軟式少年野球チーム・プリンスジュニア港(みなと)に所属し、本格的に野球を始めました。
そして、初打席でランニングホームランをきめると実力をどんどん発揮し小学6年生の時には12本塁打を記録しました。
中学は、愛知県名古屋市港区にある公立中学・名古屋市立南陽中学校に進学しますが、中学校の野球部には所属せず、地元の愛知港ボーイズに所属していました。
愛知港ボーイズは専用の「多度専用球場」がある他、12名のコーチがおり、監督の堀田将司さんはU-15日本代表のコーチの経験もあるという野球をするには抜群の環境です。
そして、卒団生の多くは、県内外の野球強豪校へ進学をしておりそういった点からも中学校の野球部ではなく愛知港ボーイズに所属していたのかもしれません。
ラマル・ギービン・ラタナヤケさんは、コロナ禍で試合がなく中学3年の最後のシーズンも、全国大会出場は叶わず卒団となりましたが、中学通算では50本塁打、投手としても最速135キロなどずば抜けた記録を生み出しました。
高校は中学2年の冬に大阪桐蔭高校から推薦入学の打診を受け、当初信じられなかったそうですが無事合格します。
高校1年生の時には全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)2022年でベスト8、国民体育大会では優勝、明治神宮野球大会でも優勝となりチームに貢献しました。
そして、高校2年生の時にはセンバツ高校野球でベスト4、明治神宮野球大会では2回戦に進出しています。
「第96回選抜高等学校野球大会(センバツ高校野球2024)」での活躍も期待が高まりますね。
【追記】
その後の2024年のドラフト会議では埼玉西武ライオンズから育成ドラフト指名選手で3位となりました。
ということで、ラマル・ギービン・ラタナヤケさんのプロフィールや経歴をはじめ、両親(父母)兄弟姉妹や国籍について、さらに出身校(小学校・中学・高校)や成績についてもご紹介しました。