フリーアナウンサーでタレント、実業家でもあるみのもんたさんは、かつて「日本で一番忙しい司会者」と呼ばれ、ギネスにも登録されたことがあります。
2025年1月16日の午後7時頃、東京港区にある高級焼き肉店で、みのもんたさんが肉を喉に詰まらせて窒息状態に陥り、都内の大学病院に救急搬送され、一次は意識不明の重体だったそうです。
また、2020年11月には自身がパーキンソン病を発症したことを明かし、テレビ番組の司会を勇退しました。
そんなみのもんたさんのプロフィールや経歴、現在事実婚?結婚した妻や子供は?両親(父母)や兄弟姉妹、若い頃の画像や自宅についてご紹介します。
(出典:NEWSポストセブン)
みのもんたのプロフィールや経歴
みのもんたさんのプロフィールや経歴についてご紹介します。
プロフィール
(出典:スポニチ)
みのもんたさんのプロフィールはこちら!!
名前 みのもんた
本名 御法川法男 (みのりかわ のりお)
生年月日 1944年8月22日
年齢 80歳 (2025年1月時点)
出身地 東京都世田谷区
血液型 A型
身長 167cm
学歴 立教大学経済学部卒業
所属 株式会社ニッコクの代表取締役会長
経歴
立教大学経済学部在学中、放送研究会に所属しラジオドラマを製作していたそうです。
1967年4月、大学卒業後、文化放送に入社。同社ではほとんどの期間をアナウンサーとして活動。
最初の2年弱は研修として、同じフジサンケイグループの産業経済新聞社(産経新聞社)に通っていました。新聞原稿をラジオニュース用の原稿(読み原)に書き換える仕事をしていましたが、全く駄目で「ニュースには向かない」と言われたそうです。
文化放送での初めてのレギュラー番組は『ゲリラでいこう』(15分番組)。その後はニッポン放送の『オールナイトニッポン』、TBSラジオの『パックインミュージック』で深夜放送ブームに火が点き、遅れて始まった『セイ!ヤング』の初代パーソナリティ(1969年6月 – 1973年3月まで担当)に抜擢されました。
1979年9月に文化放送を退社後、父親が経営する水道メーター製造・販売会社の日国工業(現:ニッコク)に入社。
10年間、全国を営業で回っていました。その間、フジテレビに声をかけられ、『プロ野球ニュース』の週末版で雨が降って野球が中止になると、MLBのビデオを放送。「よっ、真っ黒に日焼けして」などとナレーションを入れた所、人気が出て『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』に発展。
『なるほど!ザ・ワールド』の国内リポーター、『オールナイトフジ』でオールナイターズの実家を訪ねる「深夜の家庭訪問」などを担当し、コミカル系サブ司会者(コメディ・リリーフ的存在)として認知されるようになります。
1989年、『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ)の司会を担当し、番組が高視聴率を取るようになり、人気司会者の地位を築きました。
1999年10月、日国工業を受け継ぎ(のちに自身の個人事務所「オフィスモンタ」を合併し、現在の「ニッコク」に社名変更)、代表取締役社長を務め、2020年12月に退任し、代表取締役会長に就任しています。
2004年、東北福祉大学客員教授に就任。
父親が宮城県栗原市出身である縁から、同県のふるさと大使「みやぎ夢大使」にも任命されました。
2006年11月28日に「一週間で最も長時間、テレビの生番組に出演する司会者(記録:21時間42分[6])」という記録が、『ギネス・ワールド・レコーズ』に認定され、その後、2008年6月5日には22時間15秒に自らギネス記録を更新。
2013年、次男の逮捕を受け、報道機関各社へ自身が出演する『朝ズバッ!』と『サタデーずばッと』の出演を自粛すると発表。次男の事件以降は仕事は激減し、レギュラー番組は『秘密のケンミンSHOW』のみとなりました。
2018年前後にパーキンソン病と診断されています。
体力の限界を痛感したみのもんたさんは、2020年3月にレギュラー出演していた人気バラエティー番組『秘密のケンミン SHOW』(日本テレビ系)を勇退し、30年以上続けたテレビの仕事に区切りをつけました。
「まさか自分がパーキンソン病なんて。聞いたことはあったけど」
「足腰というか足がダメになる。ちゃんときれいに進むのが引っ掛かるようになる」
とパーキンソン病について語っています。
みのもんたは現在事実婚?結婚した妻や子供は?
みのもんたさんは現在事実婚?結婚した妻や子供についてご紹介します。
現在事実婚?
みのもんたさんは、妻を亡くした数年後に婚活宣言をしていましたが、2016年3月、40歳年下の元ホステスとのデートがスクープされています。
(出典:Feathered News 2020年12月11日/フライデー画像)
お相手は銀座のクラブに勤めていた女性で、ホステスをする前はリハビリの勉強をしながら都内の高齢者専門施設に勤務していたとか。
女性はみのもんたさんを支えてきた存在で、クラブに同伴するなど、事実婚状態にあるようです。
2020年11月26日発売の「週刊文春」では、「7年前に出会った40歳年下の女性に、港区内の約1億5000万円のマンションを贈与した」と報じられました。
結婚した妻や子供
みのもんたさんは、1970年11月、靖子(やすこ)さんと結婚し、2男1女に恵まれました。
お二人の出会いは、立教大学の先輩と後輩で「放送研究会」という同じサークルでした。8年お付き合いされた後にゴールインされたそうです。
妻・靖子さんは、みのもんたさんの専属スタイリストを務めていましたが、2012年5月22日にがんのため死去。(享年66歳)
長女・なみさんは、母が亡くなったのち、父の専属スタイリストとして父を支えています。
長男の隼斗(はやと)さんは、慶應義塾大学を卒業した後、TBSに入社。2005年に一般人の山本裕美(やまもとゆみ)さんとご結婚されました。
次男・雄斗(ゆうと)さんは、日本テレビに勤務していましたが、2013年・31歳の時に泥酔して道で横たわっていた男性の鞄からキャッシュカードを盗み出し、現金を引き出そうとしたとして窃盗未遂容疑で逮捕され、日本テレビを解雇処分となりました。
その後、みのもんたさんの計らいで「ニッコク」に再就職しています。
みのもんたの両親(父母)や兄弟姉妹は?
みのもんたさんの両親(父母)や兄弟姉妹についてご紹介します。
家族構成は、両親(父母)と兄、ご本人と妹の5人家族です。
父は、御法川正男(みのりかわまさお)さんといいます。宮城県栗原郡鶯沢村(現:栗原市)出身で、水道メーターの製造販売する日国工業創業者です。(2005年死去)
(父・御法川正男さん)
みのもんたさんは3人兄弟の次男ですが、兄・正昭(まさあき)さんは、1944年7月21日に3歳で死亡。
その通夜の席に父への召集令状が届いており、みのもんたさんを妊娠し身重だった母はそれ以降途方に暮れ、ただ国を呪ったといいます。父は終戦後戦地から無事に戻りましたが、母の戦争に対する怒りは終生変わらなかったそうです。
みのもんたさんの妹さんは3つ年下だそうですが、名前など詳しい情報は見当たりませんでした。
みのもんたの若い頃の画像
みのもんたさんの若い頃の画像をご紹介します。
■文化放送時代
(出典:読売新聞オンライン/ニッコク提供)
■1981年頃
(出典:オリンピックPRESS)
若い頃からにこやかで愛嬌のあるお顔立ちですね。
みのもんたの自宅は?
みのもんたさんの自宅についてご紹介します。
みのもんたさんは司会者業などの芸能活動以外に、水道メーター製造販売を手掛ける株式会社「ニッコク」の会長でもあります。2019年には売上高が約21億円にのぼり、社員数も約130名ほどいる優良企業。
そして 55%という割合で同社の株を所有するみのもんたさんは、軽井沢、名古屋、札幌、鎌倉の一等地に不動産を持ち、総資産は50億円を超えるといわれています。
そんなみのもんたさんの豪邸の写真がこちら!
■鎌倉の豪邸
みのもんたさんの自宅は神奈川県鎌倉市にあり、17億円の豪邸だそうです。
写真からも敷地の広さや建物の大きさがうかがえます。
まとめ
人気バラエティー番組『秘密のケンミン SHOW』(日本テレビ系)をはじめとする、数々の司会を務めてきたみのもんたさん。
2025年1月16日の午後、高級焼き肉店で肉を喉に詰まらせて大学病院に救急搬送される報道がありました。
また、パーキンソン病を患っていることを公表していますが、寄り添い支えてくれる女性がいることも明らかになっています。
【追記】
2025年3月1日、みのもんたさんが80歳で亡くなったことがわかりました。
ということで、みのもんたさんのプロフィールや経歴、現在事実婚?結婚した妻や子供は?両親(父母)や兄弟姉妹、若い頃の画像や自宅についてご紹介しました。