「欽ちゃん」の愛称で親しまれているお笑い界の第一人者、萩本欽一(はぎもと・きんいち)さん。
毎年恒例の日本テレビ系「24時間テレビ47」で、初代総合司会を務めた萩本欽一さんと妻・澄子(すみこ)さんの夫婦の物語を描いたスペシャルドラマ、「欽ちゃんのスミちゃん ~萩本欽一を愛した女性~」(31日後9:00ごろ)が放映されます。
萩本欽一さんの役は伊藤淳史(いとう・あつし)さんが、妻・澄子さんを波瑠(はる)さんが演じます。
萩本欽一さんはコメディアンとして、また、司会者として数多くの名シーンを生み出してきました。
そんな萩本欽一さんのプロフィールや経歴、結婚した妻の萩本澄子さんとの馴れ初めや子供は?両親(父母)・兄弟姉妹、出身校(小学校中学高校大学)についてご紹介します。
(引用:浅井企画)
萩本欽一のプロフィールや経歴
萩本欽一さんのプロフィールや経歴についてご紹介します。
プロフィール
萩本欽一さんのプロフィールはこちら!!
名前 萩本欽一 (はぎもと・きんいち)
生年月日 1941年5月7日
年齢 83歳 (2024年7月時点)
出身地 東京都入谷区 (現在の東京都台東区)
身長 164cm
体重 65kg
血液型 A型
事務所 萩本企画、浅井企画、佐藤企画
1970年代〜1980年代に、「なんでそーなるの!」などのギャグや、「欽ちゃん走り」と言われる横向きに走る独特な走り方などで一世を風靡しました。
また、「どっちらけ」「バンザーイなしよ」「ややウケ」「バカウケ」「ウケる」「天然ボケ」などのギャグも数多く生み出しています。
「視聴率100%男」とうたわれ、その名を知らない人はいない日本のエンターテイナーである萩本欽一さんの経歴をご紹介していきます。
経歴
小学生のころ、父の会社が倒産したことから極貧生活を強いられ、映画で「面白い人が面白いことをしてお金をもらっている」ことを知り、中学校卒業後に喜劇役者だった大宮敏充(おおみや・としみつ)さんに弟子入りを懇願しますが、「せめて高校を出てからおいで」と断られたこともあるとか。
萩本欽一さんは高校卒業後、東洋劇場に研究生として入団し、コメディアンを目指します。
同系列の浅草フランス座へ出向した際、坂上二郎(さかがみ・じろう)さんと運命の出会いを果たしています。
その後、東洋興業を辞め、1962年浅草松竹演芸場で「劇団浅草新喜劇」を旗揚げし、お笑いに本格的に取り組みました。
コント「机」を売り込もうとしているところに、坂上二郎さんから電話が入り、「そのコントは俺と欽ちゃんで演じた方がいいのでは」と提案されたのがきっかけとなり、1966年「コント55号」を結成。
その後、コント55号は人気が急上昇し、多くの番組に引っ張りだことなりました。しかし、70年代後半以降、コンビでの出演が減り、それぞれが個々の活動に注力するようになります。
萩本欽一さんは、1971年、日本テレビ「スター誕生」の初代司会者として活躍し、1972年にはニッポン放送のラジオ番組「欽ちゃんのドンといってみよう」も開始しています。
そして、1981年、フジテレビ「欽ドン!良い子悪い子普通の子」シリーズが放送開始し、1976年から始まっていたホームコメディのテレビ朝日「欽ちゃんのどこまでやるの!」などで、最高視聴率42%を記録。
1982年に始まったTBS「欽ちゃんの週刊欽曜日」、TBS「ぴったし カン・カン」、フジテレビ「オールスター家族対抗歌合戦」と、レギュラー番組も高視聴率となりました。
特に、冠番組である「欽ドン」、「欽どこ」、「週刊欽曜日」の3番組の視聴率を合計した数字から、「視聴率100%男」と呼ばれるようになり、「欽ちゃんファミリー」と称される多くのタレントや俳優がそこから巣立っていきました。
欽ちゃんファミリーからは「大将」と呼ばれています。
■欽ちゃんファミリー
・真屋順子 (まや・じゅんこ)さん
・前川清 (まえかわ・きよし)さん
・間一平 (はざま・いっぺい)さん
・関根勤 (せきね・つとむ)さん
・小堺一樹 (こさかい・かずき)さん
・山口良一 (やまぐち・良一)さん
・勝俣州和 (かつまた・くにかず)さん
・高橋真美 (たかはし・まみ)さん
・西山浩司 (にしやま・こうじ)さん
・ラサール石井 (らさーる・いしい)さん
・斎藤清六 (さいとう・せいろく)さん
・見栄晴 (みえはる)さん
・風見慎吾 (かざみ・しんご)さん
・イモ欽トリオ (いもきんとりお)
・わらべ
など。
その後、1985年3月、レギュラー番組を全て降板し充電期間として半年間程休養を取りますが、「欽ちゃんの仮装大賞」と「24時間テレビ」には出演をしています。
(「欽ちゃんの仮装大賞」司会の萩本欽一さんと香取慎吾(かとり・しんご)さん)
1966年には、NHK連続テレビ小説「ひまわり」のナレーター、1988年は、長野冬季オリンピック閉会式の総合司会などを担当。
また、2005年に野球クラブチーム「茨城ゴールデンゴールズ」を結成し、初代監督に就任。ゴールデンゴールズの選手には「欽督(きんとく)」と呼ばせていました。
2007年8月、「24時間テレビ・愛は地球を救う」のチャリティーマラソンランナーに66歳でチャレンジし、完走しています。
また、2003年から2014年まで、明治座で不定期に座長公演をしていました。
2015年4月、駒澤大学仏教学部に73歳で入学し、2019年5月に自主退学。
2021年9月から、80歳でYouTuberとして活動しています。
■受賞歴
・ゴールデンアロー賞特別賞
・テレビ大賞
・ギャラクシー賞
・モービル児童文化賞
・ブルーリボン賞
・特別映画賞「欽ちゃんのシネマジャック」
萩本欽一の結婚した妻・萩本澄子との馴れ初めや子供は?
萩本欽一さんの結婚した妻の澄子さんとの馴れ初めや子供ついて、ご紹介します。
(引用・介護ポストセブン)
妻・澄子 (すみこ)さん (1938年-2020年)
長男・一童 (いちどう)さん (1975年生まれ)
次男・越史 (えつし)さん (1978年生まれ)
三男・征九郎 (せいくろう)さん (1980年生まれ)
萩本欽一さんには、3人の息子さんがいます。
お二人の馴れ初めは、萩本欽一さんがまだ駆け出しのころ、出演していた劇場で澄子さんは花形ダンサーをしていたのが出会いだそうです。
ストリッパーの澄子さんは、舞台袖でいつも萩本欽一さんのコントを楽しそうに見ていたとか。
結婚を公表した際には、澄子さんを気遣い、ストリッパーであることを伏せるようマスコミに強く要望。
長男が生まれ、次男や三男が生まれたときは、日曜に仕事を休み子供と遊ぶ時間を優先させていましたが、澄子さんに「仕事が好きなら、とことんやりなさい」と言われてしまいます。
萩本欽一さんが仕事で輝いていることを、一番理解し支えていたのが姉さん女房の澄子さんだったことがうかがえます。
萩本欽一さんは、
「夫としては…最悪でしょ」
「誕生日も結婚記念日も旅行行ったこともゼロだし」
と、一般の家庭とは異なる環境だったことを振り返っています。
最愛の妻・澄子さんは、2020年8月28日にがんのため82歳でこの世を去りました。
萩本欽一の両親(父母)や兄弟姉妹は?
萩本欽一さんの父親・母親・兄弟姉妹について調べてみました。
家族構成は、ご本人と両親、2人の兄・2人の姉、弟が1人の8人家族です。
父親は団治(だんじ)さんで、母親がトミさんとおっしゃいます。
団治さんは、日本初のコンパクトカメラ・ダン35を作った人物。
母親のトミさんは、資産家の生まれでお嬢様育ちで家事は苦手だったようです。
父親の商売は進駐軍を上客に繁盛していましたが、やがて莫大な借金を抱えて一家は解散することになります。
大家族の中で育った萩本欽一さんは、貧困の中から脱却したい想いが強く、成功することで両親へ恩返ししようと考えていたそうです。
長兄の功(いさお)さんは14歳上で、警視庁少年警察官、サカイ薬品代表取締役、プラスロン化粧品取締役会長などを務めてきました。
2歳下の弟・悦久(よしひさ)さんは、東京学芸大学卒業後、都内の小学校教員をはじめとする教職に携わっています。
他のご家族についての情報は、見当たりませんでした。
萩本欽一の出身校(小学校中学高校大学)はどこ?
萩本欽一さんの出身校(小学校・中学校・高校・大学)について調べてみました。
出身小学校
萩本欽一さんの出身小学校は、台東区立西町小学校 (現在は廃校)でした。
小学生時代には、父親がカメラの製造販売で成功し、浦和市に家を建てて一時は裕福な生活を送っていました。その頃は、浦和市立高砂小学校に通学していましたが、再びこの小学校に戻って卒業することになります。
小学校5年生の時に父親の会社が倒産し、浦和市から台東区の長屋に戻り、高校生まで貧困生活を余儀なくされました。
出身中学校
萩本欽一さんの出身中学は、台東区立御徒町中学校 (現在の御徒町台東中学校)。
中学時代は野球部に所属していました。
中学3年生の時に一家は台東区から文京区に移り住んでいます。
出身高校
萩本欽一さんの出身高校は、駒込高等学校でした。
この高校は1926年開校の仏教系の私立高校で、当時は男子校(現在は共学)だったようです。
高校でも野球部に在籍していましたが、家計を助けるためアルバイトをしており、部活動にはあまり参加できなかったとか。
また、極貧生活を余儀なくされて、高校在学中に一家で夜逃げをし、卒業する頃には生活苦から「家族を解散した」と話しています。
高校卒業後は、大学には進学せず芸能活動に専念する道を選びました。
出身大学
萩本欽一さんは、2015年4月に駒沢大学仏教学部へ73歳で入学し話題になりました。
入学後の欠席日数はほぼゼロで、成績もS評価がいくつもある優秀な学生だったそうですが、2019年5月には、「全力で笑いに取り組める残り時間は、もうそんなに長くないと感じたのよ」と、大学を中退しています。
貧困生活から一転して大スターになり、数々の番組をヒットさせ、若者を導く存在となっていった萩本欽一さんこと「欽ちゃん」。
24時間テレビのスペシャルドラマで、萩本欽一さんと妻・澄子さんを演じる二人は、次のようにコメントしています。
(引用:日本テレビ)
伊藤淳史さんは、
「萩本欽一さんご本人を演じるという大役をいただき、心身ともに引き締まる思いです。今回の台本は、萩本さんご自身の書籍や、ご家族とのやり取りをもとに作られています。萩本さんと奥さまの澄子さんとの深いつながりが、とても胸に響くすばらしいお話でした。プロデューサーや監督に身を預け、精いっぱい演じたいと思います」
と述べ、澄子さんの20代から80代で亡くなるまでを演じる波瑠さんは、
「人生をドラマに凝縮すると描き切れない瞬間がたくさんあると思うのですが、心の中では萩本さんを思う澄子さんでいっぱいにして日々を過ごしたいと思います」
と想いを語りました。
どんなご夫婦の物語が紡ぎ出されるのか、今から楽しみです。
ということで、萩本欽一さんのプロフィールや経歴、結婚した妻の萩本澄子さんとの馴れ初めや子供は?両親(父母)・兄弟姉妹、出身校(小学校中学高校大学)についてご紹介しました。