俳優でタレントの毒蝮三太夫(どくまむしさんだゆう)さんが、2025年3月19日放送の「徹子の部屋」に出演予定です。
毒舌トークで人気を博し、「ジジイ、ババアの友」と親しまれています。
1969年よりパーソナリティを務めるTBSラジオ「ミュージックプレゼント」は、現在も放送中です。
そんな毒蝮三太夫さんのプロフィールや経歴・本名、名前の由来、結婚した妻・子供や孫は?両親(父母)や兄弟姉妹、若い頃の画像についてご紹介します。
(出典:テレビ朝日「徹子の部屋」)
毒蝮三太夫のプロフィールや経歴・本名や名前の由来は?
毒蝮三太夫さんのプロフィールや経歴、本名・名前の由来についてご紹介します。
プロフィール
(出典:まむちゃんの部屋)
毒蝮三太夫さんのプロフィールはこちら!!
名前 毒蝮三太夫(どくまむし・さんだゆう)
生年月日 1936年3月31日
年齢 88歳 (2025年3月時点)
出身地 大阪府大阪市住吉区 (東京育ち)
身長 170cm
体重 78kg
血液型 O型
経歴
中学生の頃から人気者で、生徒会では副会長に選ばれ、卒業する際は卒業生代表として講堂で落語を披露しました。
少年時代は病弱で、本人曰く「発疹チフスや猩紅熱などの法定伝染病は一通りかかったことがある」と語り、20歳を超えたあたりから徐々に丈夫になったそうです。
大工の息子として大阪市住吉区に生まれましたが、生後3カ月で東京市荏原区中延(現在の東京都品川区中延)に転居。第二次世界大戦中は、神奈川県横浜市戸塚区の親戚宅に縁故疎開していました。
1945年から1950年まで東京の浅草竜泉寺で育ち、1948年、中学生の時に『鐘の鳴る丘』で俳優デビュー。
この舞台をきっかけに児童劇団に入り、NHKのラジオに出演。
東宝や大映の青春映画に出演するも、東京都立大森高等学校卒業の頃に児童劇団を辞め、日本大学芸術学部映画学科では新劇をやるために「劇団山王」を仲間と立ち上げます。
テレビドラマには1950年代から出演しており、1966年には『ウルトラマン』に科学特捜隊のアラシ隊員役で出演、子どもたちの人気者となりました。
(出典:5l「ウルトラマン」の科学特捜隊のアラシ隊員を演じる毒蝮三太夫さん)
1967年に『笑点』の当時の司会者・立川談志(たてかわだんし)さんの誘いにより、同番組に座布団運びとして出演。
1969年にはTBSラジオで『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』が放送開始。現在もなお続く長寿番組となっています。
1970年代以降は俳優業よりもタレント業での活躍が目立ち、「ジジイ」「ババア」と呼ぶことを厭わないフランクな接し方で圧倒的な人気を確立しました。
1971年、当時の立川談志さんの所属事務所だった「談志プロダクション」の社長に就任。
1973年に「株式会社まむしプロダクション」を設立。
1990年、浅草芸能大賞奨励賞受賞。
1993年、日本老年行動科学会「特別顧問」就任。
1999年、ゆうもあ大賞を受賞。
2005年12月、「急に食欲が減り胃が張る」という体調の異常に気付き、迎えた大晦日にプライベートで静養中の鎌倉で急に胃の激痛があり、救急車で都内の病院に搬送され診断の結果「腸閉塞」で入院をすることになりましたが、2006年2月20日より、レギュラー番組である『ミュージックプレゼント』の生中継で仕事に復帰しています。
2005年、日本雑学大賞受賞。
2016年5月8日放送の『笑点』に、ゲストとして約46年ぶりに出演。
2021年4月21日からYouTuberとしても活動を開始。
聖徳大学短期大学部客員教授も務めています。
本名や名前の由来
毒蝮三太夫さんの本名は、「石井伊吉(いしい・いよし)」さんといいます。
俳優としてデビューした当時は、石井伊吉さんを名乗っていましたが、1967年に『笑点』で座布団配りをしていた頃、「何で正義の味方が座布団運びやってんだ」といった苦情などがTBSテレビの方に入っていることを聞き、『笑点』で芸名を付けようという展開になったそうです。
「毒蝮」という芸名は、立川談志さんが「怪獣ドラマに出演しているなら怪獣風の芸名にした方が良い」「怪獣にも負けないような名前で、蝮ってのはどうだ?」と名付けたもの。
立川談志さんは、毒蝮三太夫さんを「マムシ」と呼んでいましたが、当時大喜利メンバーの1人だった5代目三遊亭圓楽(さんゆうていえんらく)さんが、「ただのマムシじゃ面白くねぇ、毒を付けろ」と発言したことで決まりました。
下の名前の「三太夫」は『笑点』より前に出演していた『談志専科』という番組で、家老・田中三太夫役に扮し、殿様役の立川談志さんと社会風刺や世相巷談を繰り広げていたことが元で命名されたそうです。
こうして、1968年12月15日放送分から「毒蝮三太夫」さんに改名となりました。
毒蝮三太夫の結婚した妻・子供や孫は?
毒蝮三太夫さんの結婚した妻、子供や孫についてご紹介します。
結婚した妻
毒蝮三太夫さんは、無類の愛妻家で知られています。
妻はかつて三越に勤務しており、猛アタックの末、1963年に結婚しました。
2人の出会いは、毒蝮三太夫さんが19か20歳過ぎくらいの時で、三越劇場での児童劇に出演した際、三越に勤めている知人女性が「私の友達を紹介する」と楽屋に連れて来た女性が妻だったそうです。
毒蝮三太夫さんは「楽屋に入って来て見た時に、“この子が奥さんにふさわしい子じゃないかな”って」と一目惚れ。
2022年には結婚60年の「ダイヤモンド婚」を迎え、
「60年経ちましたけど、普通は年を取ると“ぬれ落ち葉”とか“粗大ごみ”だとか言われますよね。今もって“帰って来て欲しい”とか“2人でいるのが嬉しい”って言われるのは幸せですね」
と愛妻ぶりを披露していました。
妻は、1、2回だけメディアに登場したことがあるそうなので画像を探してみましたが、見つけることはできませんでした。
子供や孫
毒蝮三太夫さんには、子供がいません。よって孫もいないということになります。
子供には恵まれなかったものの、妻には毎日ハガキを書いているそうで、その愛情深さがうかがえます。
毒蝮三太夫の両親(父母)や兄弟姉妹は?
毒蝮三太夫の両親(父母)や兄弟姉妹について、ご紹介します。
両親(父母)
父は、正寅(まさとら)さんで、大工をしていました。
(父・正寅さんと)
母は、ひささんといい、1898年生まれで父より4歳年上でした。ひささんは、生粋の江戸っ子で、最初の夫との間に男の子を2人設けていました。
(出典:NEWポストセブン/母・ひささんと)
関東大震災の後、ひささんは大阪に行き、前の夫を亡くします。その時、神奈川から大阪に来て大工をやっていた正寅さんが、子供2人抱えて大変だから面倒を見てやろうってことになったようです。
正寅さんはひささんのことを「たぬきババア」と呼び、ひささんは正寅さんのことを「ゴリおやじ」と呼んでいたそうです。そして、毒蝮三太夫さんは「子だぬき」と呼ばれていたとか。
兄弟姉妹
父親が違ううえ、10歳以上も年齢差がある兄2人とは兄弟ケンカをしたことがなく、可愛がられたといいます。
「一緒に遊べなかったから兄という感じがしなかった、一人っ子みたいで寂しかった」とも。
毒蝮三太夫の若い頃の画像
毒蝮三太夫さんの若い頃の画像をご紹介します。
■ウルトラマン出演時(1966年頃)
■1984年頃
■1997年頃
(出典:NHKアーカイブス)
■自身のYouTubeチャンネル
『ルパン三世』の峰不二子役で有名な増山江威子(ますやまえいこ)さんが出演した動画には、懐かしい写真がたくさんありました。
まとめ
中学生で俳優デビューした毒蝮三太夫さん。『ウルトラマン』に出演後、『笑点』の座布団配りをし、「ジジイ」「ババア」の毒舌で人気者となりました。
結婚60周年を過ぎた今も妻とはラブラブだとか。そんな毒蝮三太夫さんが2025年3月19日放送の「徹子の部屋」に出演します。どんな話が聞けるか楽しみですね。
ということで、毒蝮三太夫さんのプロフィールや経歴・本名、名前の由来、結婚した妻・子供や孫は?両親(父母)や兄弟姉妹、若い頃の画像についてご紹介しました。